私たち「全国公的介護保障要求者組合」(以下、要求者組合)は1970年代、都立府中療育センターに入所していた要求者組合の前委員長の故・新田勲と、現委員長の三井絹子たちが、施設での人権を無視した収容管理体制を批判し、都庁舎前での1年9ヵ月にも及ぶ都庁舎前での座り込み闘争(府中療育センター闘争)を経た後、施設を出て地域で生活を始めました。
府中療育センター闘争以降、私たちは国の生活保護制度による他人介護加算の創設や、東京都の単独事業となる脳性麻痺者介護人派遣事業の実施など地域で生活していく為の介護保障制度として勝ち取っていきました。制度をより一層充実していく為、国との継続的な交渉や、東京都での介護保障を拡充させるため「在宅障害者の保障を考える会」を立ち上げ、交渉を重ねることで、介護人派遣事業の増額や支給対象者の拡大なども実現してきました。
地域で自立生活を始める重度しょうがいしゃも増えていく中、全国各地で介護保障制度を広げていく為1988年故・新田勲委員長の呼びかけのもと「全国公的介護保障要求者組合」が結成されました。1990年代には東京を始め、複数の制度を利用し24時間365日の介護保障を実現する自治体も出てきましたが、その一方でしょうがい福祉制度の拡充には後ろ向きな自治体も多く、そうした地域でのしょうがい当事者の声を後押しするため、私たち要求者組合も一緒に交渉・抗議行動を行ってきました。国は2000年に高齢者を対象とした介護保険制度を導入し、2003年には私たち要求者組合を含め、多くのしょうがい者団体が大反対した「支援費制度」が導入されました。措置から契約へという掛け声で押し進められた支援費制度では、行政責任としての介護保障の希薄化や、それまで勝ち取ってきた介護水準の低下が懸念されたほか、介護保険制度との統合を視野に入れた制度変更として警戒してきました。
財政問題から支援費制度は2年後に破綻しましたが、2006年には障害者自立支援法、2012年には障害者総合支援法と変遷し現在に至っています。地域で自立生活をしている重度しょうがいしゃの多くは、現行法にある重度訪問介護という制度を利用しています。介護制度そのものは昔に比べ充実してきているものの、財政負担を嫌う自治体では不当に支給時間の抑制が行われたり、本来の制度運用とは異なった解釈で実施されるなど、様々な問題も顕在化してきています。各自治体や国に対しても重度しょうがいしゃが安心して生活できる支給量の設定や運用を行うよう今後も交渉をおこなっていきたいと思います。
要求者組合には、今現在も個別の相談が色々と寄せられています。重度訪問介護利用者の65歳介護保険優先原則問題、入院中の介護者派遣については、コミュニケーションにしょうがいがある、或いは個々のしょうがい特性に合った介護が必要ということで、制度的には認められていても実際には入院中に介護者が入れない問題、生活に必要な介護制度の支給量を認めてもらえない、しょうがいしゃの介護制度が誤った運用をされているなど様々な問題が各地から寄せられています。こうした個々の問題に対して、相談を受け付け各地の行政交渉に向けての助言や、必要があれば一緒に行政と闘っていくほか、私たち要求者組合が行う国との交渉の中でも一つ一つの課題をとりあげ交渉し解決に向け闘っています。
府中療育センター闘争を契機に、介護保障制度が何一つない中で、地域で他人の介護を受け自立生活をはじめた。それから半世紀以上にわたり介護制度は目まぐるしく変わってきましたが、重度しょうがいしゃがいろいろな意味で後回しにされてしまう社会の構造については何も変わっていません。重度しょうがいしゃが安心して地域で生活できる介護制度の実現に向けて、皆さんと一緒に闘っていきたいと思います。